「へそ展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「へそ展」日記は、「へそまがり日本美術ー禅画からヘタウマまで」展、略して「へそ展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


与謝蕪村とへそまがり

「へそまがり日本美術」展の企画を担当した府中市美術館の金子です。北海道のみなさまにこの展覧会をご覧いただけるのを、本当に嬉しく思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

府中市美術館では、毎年「春の江戸絵画まつり」を開いています。17回目となる今年のテーマは、「与謝蕪村  「ぎこちない」を芸術にした画家」。ところが、緊急事態宣言に伴い、途中で閉幕となってしまいました。「これから見に行こう」と計画していた方も大勢いらしたのでは……と思うと、本当に残念です。今はとにかく、感染症の収束を祈るばかりです。

さて、へそ展には、その蕪村の作品が3点出品されます。どれも府中での蕪村展にも出品された、選りすぐりの力作ばかりです。蕪村といえば、俳人として有名ですが、一流の人気画家でもありました。その蕪村が「なぜへそまがりなの?」と不思議に思われるかもしれません。しかし蕪村は、へそまがり美術史上の重要作家なのです。

とにかく、まずは《寒山拾得図》をご覧ください。有名な画家が描いた高尚な芸術作品などと思わずに、素直に見てください。

ただ筆を乱暴に走らせて、塗り方も雑な感じです。荒っぽい描き方によって奥深さを表現する水墨画などは古くからありますが、そういう美しさを持っているわけでもありません。濃い墨を着けた筆をぶっきらぼうに紙に押し付けて、線の美しさなど無視して気ままに筆を運んでいったようなところが目立ちます。

与謝蕪村《寒山拾得図》 個人蔵

寒山と拾得は、唐時代の伝説的な人物です。物乞いのような身なりで、突然叫んだり走り去ったりと突飛な行動をするのですが、その言動には不思議と物事の真理があるとされ、禅の世界で信奉を集めました。それゆえ、「きれいではない」姿に描かなければいけない題材です。

とはいえ、「ものには限度があるだろう」と言いたくなるほど、蕪村の描き方はワイルドで、見た瞬間、口あんぐりです。けれども、じわじわと、こんな風に堂々と描いてしまう痛快さが感じられてきて、にやっとしてしまうようなディープな何かが心の中に湧いてくるでしょう。蕪村の晩年、63歳の時の作品です。

現在残っている作品の数からしても、蕪村の寒山拾得の掛軸は、人気があったようです。こんな絵に人気があったとは、古美術は典雅なもの、と何となく思っている私たちには驚きです。でも、考えてみれば、蕪村が活躍したのは、伊藤若冲や曽我蕭白ら「奇想の画家」が活躍したのと同じ町、同じ時代です。恐るべし18世紀の京都、です。

さて、へそ展には、蕪村の寒山拾得の絵がもう一組出品されます。関東や丹後での暮らしを終えて、ようやく京都に定住するようになってから間もなく、30代後半に描いた作品です。蕪村としては初期の作品ということになります。

先ほど見た晩年の作品のような、派手に脱線した感じや乱暴さはなく、丁寧に描いています。しかし、ぼろっとした着物や不気味な感じの風貌は、よく捉えています。

与謝蕪村《寒山拾得図》 個人蔵

府中での展示中、私は毎日のようにこの絵を眺めながら、あるおかしなことを思うに至りました。寒山の風貌をよく見てください(下図)。

まるで、キリスト教の宣教師や聖人のようではないでしょうか? 実は、前々からそんなことを思っていて、蕪村展の図録の解説にも、「キリスト教の宣教師の図像のようなヒントはなかったのか、まさかとは思うが気になる」と書きました。けれども、展示室でこの絵を眺めているうちに、そうとしか思えなくなってしまったのです。

禿げている頭は剃髪した聖職者を、また、首の周りのショールのようなものは、アカデミックフードと呼ばれるキリスト教の祭服を思わせます。首に掛けている飾りは、まるでロザリオのようです。

寒山と拾得の絵は、中国でも日本でも沢山描かれ、バリエーションも色々ですが、こんな絵は見たことがありません。1994年に栃木県立博物館で開催された「寒山拾得」展の図録には、参考図版も含めて90点近くの「寒山拾得図」が集められていますが、そこにもこんな絵はありません。むしろ私には、蕪村のこの寒山は、有名な《フランシスコ・ザビエル像》や「アッシジの聖フランシスコ」の図のような、キリスト教の絵画に重なり合って見えてしまいます。

もちろん蕪村の時代、キリスト教は禁教でした。こんなことを言うと、「蕪村は実は隠れキリシタンだったのでは?」とか、「蕪村が3年間住んだ丹後は、かつてキリシタン大名がいた場所だ」とか、さらには、「蕪村は、禅とキリスト教に、どこか深いところで接点を見出したのでは?」などと想像する声も聞こえてきそうです。

でも、もし蕪村がキリスト教の絵をヒントにしたのだとしても、恐らくそういう思想的な理由はなかったでしょう。蕪村と同じ頃、江戸の洋風画家である小田野直武は、聖職者の祈りの姿を描いていますが、信仰のためではありません。また、蕪村より後の19世紀の洋風画家である安田雷洲は、聖書の挿絵のキリストの生誕を祝う場面をもとに、赤穂義士が吉良上野介を討ち取った場面を描いています。どちらも、日本の絵にはない、西洋の題材や描き方に「奇抜さ」を感じて、新鮮な絵を作り出そうとしたのです。蕪村もまた、寒山と拾得という、とりわけ奇抜さが必要なテーマに挑むにあたって、こんなアイディアを思いついたのかもしれません。

以上の話は、私の中で何となく広がった想像です。へそ展に並んだこの絵を見た時、みなさんはどう思われるでしょうか。

(府中市美術館、金子)

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