「へそ展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「へそ展」日記は、「へそまがり日本美術ー禅画からヘタウマまで」展、略して「へそ展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


アンリ・ルソーと三岸好太郎

アンリ・ルソー《フリュマンス・ビッシュの肖像》1893年頃 

世田谷美術館蔵

「へそまがり日本美術」展。
そのとおり、日本美術の新たな味わい方や楽しみ方を、いささか視点を変えてながめようとするものですが、なぜかフランスの画家アンリ・ルソーの作品も登場します。
フランスは日本なのか? 仏蘭西と書けば少し日本風?
いやまあ、そこは目をつぶってご覧ください。なにせ、へそまがりですから、ゆる~く感じてくださいね。
と、いうわけではありません。

ルソーと日本の関わり。これは、かなり深いものがあり、研究も多くなされています。
あらためて振り返りましょう。
20世紀初頭、ピカソなどの前衛画家に認められたルソーの絵は、大正時代の日本にも紹介されて、美術界にかなりの影響をもたらしました。
洋画家はもちろん、日本画家さえも、多くの画家が「ルソー風」の絵を描いたのですね。
ルソーのどこが、日本の美術家にインパクトを与えたのか、彼らの目をそんなにも引きつけたのでしょうか。

ルソーは、美術の専門教育は受けないながらも、20代後半から、仕事の傍ら絵を描き続けます。
彼の絵は、伝統的な形式の立派で上手な表現に近づこうとしながらも、どこかが微妙にちがってしまう。そこの面白みに魅力があるとされてきました。
たとえば、本展出品の作品《フリュマンス・ビッシュの肖像》にしても、人物の足が地についてないようだとか、現実味や立体感に乏しいとか、遠近がどうも妙だとか、その「あまり上手く見えない」ところが注目されます。

描法の基礎を踏まえた巧みな技術による「立派な」絵画と比べれば、稚拙にも素朴にも見えるルソーの作品。
けれども、そこには、ただ拙いだけではない、単純というばかりでも、それらが醸し出す「何か」が見出され、ピカソをはじめとする最先端画家たちの心を捉えたわけです。
伝統の枠からはみ出すルソーの「ずれ」が、自然に生まれたのか、意識してのものなのか、研究がすすんでも、そこのところは、なかなかはっきりしないそう。
本展の図録でも、府中市美術館の音さんが、ルソーのことを、わざと拙く描いた「へそまがり画家」なのか、本当に下手で「素朴な画家」だったのか、考えるほど謎は深まる、と記しています。
まさしく、どこまで本気なのか!?

そんなルソーが日本に紹介された頃、美術界では児童画や江戸期の庶民の絵画への関心から、まさしく「素朴さ」や「稚拙な味」などが注目されており、それらが「ルソー風」とも重ねられて、ルソーへの愛着と共感を呼んで、一時期大流行したわけですね。

実際のモデルではなく(じつは、制作の時にはこの男性はすでに故人でした)、少し古い写真をもとに描いたといいます。

額の草模様もルソーが描きました。

その「ルソー風」の絵画が日本の美術界に広まった大正期にデビューしたのが、1921年に上京した札幌出身の三岸好太郎です。
三岸もまた、美術の専門教育は受けずに、ほぼ独学でした。油彩画の教本、友人との切磋琢磨に加えて、直感と試行錯誤を重ねながら、画家をめざしたのです。
ヨーロッパからもたらされるさまざまな美術の動向にも、敏感に貪欲に反応します。

本展会場では、このルソーと三岸の絵が並んで展示されています。

ルソーの左隣の作品は、三岸の《友人ノ肖像》。

1924年の春陽会展で、ほかの出品作《兄及ビ彼ノ長女》《春ノ野辺》《崖ノ風景》とともに、最高賞の春陽会賞を受賞した時の作品です。

当時の美術界で流行していた「ルソー風」を大いに取り入れたのがこの人物画。
「素朴さ」や「稚拙な味」もしっかり出しています。
単にルソー風というばかりではありません。ルソーに通じるところもあり、そうでない部分もみられるでしょう。

このときの展覧会評でも

「春陽会のルッソー風の中で三岸君のは中々よかった。(中略)大まかな筆づかひがルッソーとも違った味で君の個性も出ていた」(小寺健吉評)
「《春ノ野辺》其他のルッソー風は永続きするかどうかの見当はつかないが(中略)内容の点に素朴味がある」(萬鉄五郎評)
「三岸好太郎君のものはルッソー風であるが必ずしもその直訳ではない」(おなじく萬鉄五郎評)

など、ルソーを想起させることがいわれると同時に、三岸の独自性にも言及されています。

たしかに、ルソーと三岸を並べてみても、まったくそっくりというわけではありません。

実際に《友人ノ肖像》を見てみましょう。
肩幅の広い上半身に比べて、腰から足のバランスが少ししっくりしませんね。
座る腰元の奥行の描写もはっきりしない。そのせいか、ずんぐりした体型に見えます。
背広の袖や、その袖口からのぞく手が、なんだかとってつけたような感じです。

ルソーの描く丁寧さや明瞭さにくらべると、おおまかというか、いささか雑にさえ感じます。
目鼻もそうですね、ざっくりっぽい。

そこが「素朴さ」や「稚拙味」のねらいなのかもしれませんが。

右手と左手で色も違いますよ。

同様の雰囲気のもう一点は、またその隣りにある《兄及ビ彼ノ長女》。
三岸の異父兄・梅谷松太郎と、その娘・てるよの親子を描いています。
梅谷は、のちに『新撰組始末記』や『父子鷹』などの時代小説で知られる作家・子母沢寛として活躍します。この当時は新聞記者で、東京・大森に住んでいました。

記念写真の撮影に臨むかのような正面向きの姿は、いささかぎこちないポーズと固い面持ち。純朴、朴訥ともいえるでしょうか。

肩幅は広いけど、ずいぶんとなで肩。ずいぶんすぎるほど。


娘さんは当時8歳ぐらいのはずでしたが、こうして描かれるともっと幼少に見えますね。

まるでなんだか人形のよう。

ルソーの作品では、「地に足がついていないよう」といわれたりしますが、三岸の場合はどうでしょう。兄の足元。

う~ん、地につくかどうかより前に、なんだか草むらに隠れてとけこんじゃっています。
巧妙なのか、それとも少しごまかしているのか。

それにしても、親子が座る場所はどこなのでしょう? 
なぜまた戸外にソファがあるのか、しかも草の上です。

野外スタジオ? 
ふしぎな空間、素朴なたたずまい、それも魅力です。
この作品も春陽会展での首席受賞作。


このとき同会の大御所であった岸田劉生は
「不思議なる美しい画境である」
「愛情というようなものが形の上に美しく生きている」
と三岸のことを賞賛したのでした。?

三岸は、31歳で夭折する短い画業のなかで、さまざまな美術の動向や作家の影響を受けつつ、画風を変転させた画家でした。初期には岸田劉生や草土社、そしてルソー、後年の道化を描く時期にはジョルジュ・ルオー。晩年には、抽象やシュルレアリスム等の前衛的傾向の絵画があげられます。


それらを振り返るとき、ルソーからの影響は、初期のごく一時期だけだったのでしょうか。
そうみなされるのが一般的ですが、ルソーと三岸の関わりについて、さらに影響の広がりを見る論考もあります(苫名直子「三岸好太郎とアンリ・ルソー(試論)」『北海道立美術館・芸術館紀要第27号』北海道立近代美術館 2018年)。
そこでは、三岸の画業の変転は、次々と以前のものを切り離していったのではなく、新たなものを付加し重ねていく可能性に言及しています。
そうすると三岸にもルソーにもいえる「素朴さ」や「稚拙味」は、見かたによっては三岸の最晩年の作品にさえにじんでいるともいえそうです。


親しい友人の回想によると、美術界にデビューした頃(1923年頃)、仏蘭西美術を紹介する展覧会でルソー作品を見て、三岸は非常に感心していたといいます。画家への出発期の深い感銘は、生来の資質に相通じるものを感じ取ったからなのかもしれません、

アンリ・ルソーと三岸好太郎の作品が並ぶ会場をぶらぶらしながら、こんなことをふらふら思いました。

(北海道立近代美術館、地家)

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