「へそ展」日記

ひとつの展覧会の裏側には、展覧会を訪れただけでは見えない、さまざまなプロセスと試行錯誤があります。「へそ展」日記は、「へそまがり日本美術ー禅画からヘタウマまで」展、略して「へそ展」に関わるスタッフが、折々に皆さんにお伝えしたいことを発信するブログです。


ツルとフクロウ

日本美術の画題の中には、吉祥の意味が付加され、神格化した存在も少なくありません。

植物では、松・竹・梅。

動物では、鶴・亀あたりが、代表選手でしょうか。

代表選手同士をマッチングすれば、たちまち不老長寿という永遠のテーマが成立します。

しかし。

テーマは永遠でも、自然は無常、表現は多様。

自然をとらえる視点や表現方法に、画家の個性が光ります。

臼杵藩(現在の大分県)のお殿様が描いた、こちらの作品。

稲葉弘通《鶴図》

梅に鶴は、吉祥ムード高めで、人気のマッチングです。

でも、鶴のポーズは、こんなの見たことないレベル。

こちらも思わず頭を下げて、参りました!と言いたくなります。

-鶴の頭は、ツルツルちゃうで~、ツブツブやで~。

大阪の商人でもあった文人画家の、心の声が聞こえてきそうな、こちらの作品。

岡田米山人《寿老人図》(部分)
同上(部分)

慌てて、「丹頂鶴の頭」を検索すると…本当にツブツブです。

同上(部分)

  寿老人も、せやろ~?と、ほくそ笑んでいるように見えてきて、なぜか一本取られたような気分になります。

ありがたさにも多様性があることを、教えてくれているのかもしれません。

流行は押さえつつ、人とは違う何かを求めるタイプですか?と聞きたくなる、こちらの作品。

遠藤曰人《「杉苗や」句自画賛》(部分)

長寿のシンボルで、国の特別天然記念物で、湿原の神で。

何かと箔が付いた丹頂鶴も、こんな構図で描かれると、ただただ、かわいいし、映えてます。

画家は、仙台藩士の家に生まれ、長刀(なぎなた)と俳句を得意としたサムライ俳人。

現代に生きていれば、けだし、SNSの達人になっているのではないでしょうか。

ところで、梟(フクロウ)は「不苦労」なんて当て字もあるくらいで、現代では、知恵や幸福のシンボルとされることが多い気がします。

でも、時代や地域が異なれば、取り巻く自然も異なり、その解釈も変わります。

狩野山楽の高弟で、京狩野家二代となった画家による、こちらの作品。

狩野山雪《松に小禽・梟図》

画賛によれば、梟は「不孝」の鳥とされ、鳥界でも仲間はずれの存在。

でも、見方を変えれば、どうして梟が悪いものか、と問いかけます。

同上(部分)

 この梟の、大きなお目々に見つめられたら、「そう、あなたは何も悪くない。人が勝手に決めつけていただけ」と、ついつい言い訳してしまいそうです。

「へそ展」の四番バッター仙厓さんが描く梟は、梅に停まっているけど、ぶっ飛んでいます。

仙厓義梵《小蔵梅花図》

 紙面のど真ん中に書かれた言葉は、「小蔵 金ぐそくえ 小僧」。

なんでも、仙厓さんが晩年を過ごした九州には、梟の鳴き声を「小僧、鼻くそくうかあ」と 表す地域があるとか。

それにひっかけて、金ぐそ(金の不始末)など食ってしまえ、と呼びかける豪快さ。

同上(部分)

 梟の描き方もまた、ホームラン級に、愉快痛快です。

(北海道立近代美術館、齊藤)

表具があると違って見える

ポスターやウェブサイトで見たことがある絵でも、いざ展覧会の会場で見ると、絵のまわりの「表具」に驚かされることがあります。写真に出ているのは、普通、絵の部分だけですが、実際には布や紙で掛軸に仕立てられていて、そのデザインが目を引いたり、絵との取り合わせが意外だったりするのです。

というわけで、今日は、へそ展に出品される作品の中から、「表具」もぜひご覧いただきたい作品をいくつかご紹介します。

 

冨田渓仙《牡丹唐獅子図》 福岡県立美術館

強い紫色と、銀色のざっくりした大きな文様。奔放かつ素っ頓狂な絵を、重厚に、大胆に引き締めています。絵にも描かれているように、獅子といえば牡丹。表具の文様も牡丹です。


よく、「表具は、絵と同じ時代のものですか?」とか、「表具の布は、誰が選んだのですか?」といった質問を受けますが、かなり難しい問題です。

絵は、表具師の手で掛軸に仕立てられます。その時、どんな表具を選ぶかは、絵を手に入れた人が考えることもあれば、表具師にお任せのこともあったでしょう。また、ときには、画家が指示することもあったかもしれません。しかし、そうした事情を伝える記録はほとんどないのです。

彭城百川《初午図》

描かれているのは、お稲荷さんとお供え。初午の行事は二月。それに合わせた、かわいい梅の花です。

徳川家綱《闘鶏図》 德川記念財団

上手い下手を超えた力と味わいで、見る者の心を鷲づかみにします。波の中に刺繍で表されているのは、色とりどりの貝、魚、蟹、海老。風変わりで、そしてかわいらしいデザインです。へそ展に並ぶ掛軸の中でも、かなり目を引きます。


表具は布や紙でできていますが、それらの部品をつなぎ合わせているのは弱い糊なので、年月が経つにつれ、剥がれてきます。そうなった掛軸は、いったん分解して、再び仕立てる修理が必要です。50年に一度、あるいは70年に一度、などと言われます。

修理の時に、もし部材が傷んでいたら新しいものに取り替えます。元の布に似た布を探して使ったり、また、作品の持ち主の好みで、思い切って以前とは違うものにしたりしますが、その場合、古い布を使って趣を演出することもあります。

こんなわけで、表具がいつのものかを知るのは、かなり難しいのです。新しそうに見えても、絵と同じ時代のまま、ということもあるでしょう。逆に、古そうに見えて、意外に新しいこともあります。いずれにしても、どんな表具にしたら絵が引き立つか、面白い掛軸になるかを、それぞれの時代の人たちが考えて、作っているわけです。

 

伊藤若冲《鯉図》

風帯(上から下がる二本の帯)もなく、シンプルな掛軸ですが、墨だけで描かれた力強い造形にぴったりです。絵のテーマが鯉なので、表具は全面びっしりと、ただただ波です。

 

中村芳中《鬼の念仏図》

大津絵でおなじみの「鬼の念仏」を、もっと大胆奔放に、かつ「ゆるく」描いています。民芸品的な題材と、簡素な格子文様が、洒落た、良い雰囲気を出しています。

美術館の図録の場合には、絵の部分だけを掲載するのが一般的です。図録の大きさは限られているので、掛軸全体を載せると、絵が小さくなってしまうからです。また、あくまで画家自身が描いたのは絵のところだけなので、そうするのが普通です。しかし、やはり掛軸は表具あってのもの。会場では、全体の味わいや面白さをたっぷりと味わっていただきたいと思います。

(府中市美術館、金子)

布袋と達磨

昨今、おうち時間が増えた、という方。

身の回りのモノや、自分の心と体の状態について、あらためて見つめてみた、という方も多いのではないでしょうか。

「へそ展」では、そんなわたしたちに、示唆や刺激をあたえてくれる作品をご紹介します。

示唆に富んでいるのは、究極のミニマリスト「布袋」さん。

所持品は、袋ひとつで、ポータブル。

白隠慧鶴《布袋図》(部分)

この袋には、「福」がたくさん入っているみたい。

 

常に、笑みを絶やしません。

松花堂昭乗《布袋図》(部分)

笑顔がかわいい、中年男性。

子どもに囲まれている場面が多いのは、無垢な心をもつ証拠。

雪村周継《布袋唐子図》(部分)

顔をいじられても、ノープロブレム!?

モノを持たない布袋さんの心は、幸福感で満たされているようです。

「幸福の追求」とはなにか、そんなことまで考えさせられます。

刺激を与えてくれるのは、転んでいない「達磨」さん。

面壁九年(壁に向かって9年間座禅した)の驚異的集中力。

 

東嶺円慈《禅経達磨之尊像図》(部分)

かなり集中しているので、強面です。

同上(部分)

消えたり、透けたり、つまり、超人的な存在として描かれることがあります。

福原五岳《面壁達磨図》(部分)

でも、「達磨さんが転んだ」の歌でも知られているように、子どもにとっても身近な存在。

その振り幅の大きさにも驚かされます。

禅画に描かれる布袋さんや達磨さんは、究極的で、ストイック過ぎて、なかなか真似はできません。

けれど、ふと、立ち止まって、日常を見つめなおす時。

布袋さんの笑顔や、達磨さんの強面から、言葉にならないメッセージを受け取ることができるような気がします。

(北海道立近代美術館、齊藤)

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